月刊小笠原諸島239
小笠原諸島地名事典

おがさわら丸から硫黄島、左は摺鉢山 20230701 (C)NOBUSHIMA,Fuyuo
硫黄島は、いつ日本領土となったか?
「明治24年(1891年)9月勅令により日本領土に編入、東京府小笠原島庁の所轄となり、北硫黄島(洋名サン・アレッサドロ島)硫黄島(洋名サルファー島)南硫黄島(洋名サン・アグスティン)と命名された。」*という 9/9「日本領有宣言」が定説のように、どの資料にも書かれている。しかし、小笠原村のHPでは同時に「1891年(明治24年)火山列島を小笠原島庁の管轄とし、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と命名。」*2と領有には触れていない。
明治24年(1891)9月勅令とは、9/9付「御署名原本・明治二十四年・勅令第百九十号・小笠原島南々西ニ散在スル三島嶼ノ所属及名称ヲ定ム」(写真1)*3と日本領土であることと東京府管内にあることを前提として3島を小笠原島所属とし、既に通称として広まっていた「硫黄島」を公称とし、その南北にある島に南硫黄島、北硫黄島と島名を定めた地理的概念のものである。その際、既に知られている洋名は無視している*3-2。「小笠原島庁の管轄」*2と定めた勅令ではないが、小笠原島は既に東京府小笠原島庁の管理下にあったので、自動的に硫黄島を含む火山列島(硫黄列島)は小笠原島庁の管轄となった。
硫黄島の硫黄採掘申請を審査中の農商務省は「別紙硫黄島ノ所属及名穪ヲ公布セラレタルニ付疑義ノ件提出ス」(明治24年11月5日農商務大臣→内閣総理大臣)。その回答では「硫黄島三島ハ従来帝國の所属ナリ本年勅令第百九十號の發布アリテ始メテ帝國ニ属スルニアラス」(写真2)*4,4-2としている。
日本領土としたのは、いつだろうか?
「1876年(明治9年)小笠原は内務省の主管と決定し、各国に日本による管治を通知し、国際的に日本領土と認められる。」*2に根拠を求める他にない。父島列島以北の聟島列島は、先住移民がいたこともあり、明らかに小笠原群島の内だとし、英国ビーチー命名のケーター、ペレッスなどの洋名は具合が悪いとし、婿島[むこじま](後に「聟」)、嫁島と1881年命名される*5,5-2。
同じ論法で、硫黄列島も編入したと思われるが、領土問題は先占が勝ちながら、その根拠を明示すると問題が再燃しかねないと考えたと推測される。
硫黄島開拓の経緯
1862(文久元)年巡検で、咸臨丸は父島に向かったが悪天候で南下、硫黄島を見つけ南
硫黄島を望見して父島に着いている*6,6-2。
1887(明治20)年、東京府知事高崎五六、明治丸で父島、母島、硫黄島巡行*7。
1889(明治22)年、田中栄二郎、硫黄採掘・漁業目的で硫黄島渡航*7。
1889(明治22)年、小笠原島廰吏員荒川義邦等人夫10名を伴い渡航、硫黄島経営の端緒
を開く*7。東京府所管地前提での行政及び開拓者の動きがあった。
1891(明治24)9月、前述の勅令公布
1891(明治24)11月、硫黄島に小笠原島所属の公標設置*7。
公標の文面が示されていないが、勅令の範囲内のものであれば、「日本領有」標では
ない。
1929(昭和4)年、『小笠原島總覧』*8では、「硫黄島の三島嶼が帝國圖版に編入せら
れ、島廰の所管となる。」とあり、領有の意味に変わっている。硫黄島民は9/9を「日本領有」の日と受け取ったのであろう。
* 小笠原村が平成三年(1991)硫黄島島民平和祈念墓地公園内に建立した「硫黄島開拓
碑」の碑文の一部。
https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/ioutou_index/ (20240907確認)
*2 小笠原村>ホーム >沿革
https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline_development/(20240907確認)
*3 国立公文書館>アジア歴史資料センター>御署名原本・明治二十四年・勅令第百九
十号・小笠原島南々西ニ散在スル三島嶼ノ所属及名称ヲ定ム
https://www.jacar.archives.go.jp/ (20240907確認)
*3-2 火山列島(硫黄列島)関係洋名は、別稿で扱う。
*4 国立公文書館>アジア歴史資料センター>硫黄島ノ所属及名称ヲ公布セラレタル
ニ付農商務省ノ疑義ニ答フ
https://www.jacar.archives.go.jp/ (20240907確認)
*4-2 中村榮寿編(1983)硫黄島同窓会々報第三号硫黄島 村は消えた 戦前の歴史
をたどる
「1892(明治25)年、硫黄鉱山試掘願いが、農商務大臣によって許可された。」とあ
る。
*5 国立公文書館>太政類典第2編第131巻
*5-2 明治十四年小笠原島東京府出張所一覧概表 小笠原島日誌(明治14年) 東京都
公文書館
*6 文久年間巡検隊目付の服部帰一(1862)南島航海日記 第1 小笠原島記事拾遺5 に
以下の記述が見える。
「十七日 中島 サルファ島 即硫黄島、南島 ショウスアイランド 即南島
(南硫黄島、引用者注)」
*6-2 田中弘之(1997)幕末の小笠原
*7 山方石之助(1906)小笠原島志
*8 東京府(1929)小笠原島總覧
以上(2024/09/08)(20240914,15改)